【はあとふるDiary】は、治療の一貫として綴り始めたものなのですが、今回もまた、我が侭なお願いをしました。
「半年前まで綴っていた【はあとふるDiary】−ホームページ上に載せられていた分の【はあとふるDiary】を削除していただいて、一新した【はあとふるDiary】を改めて載せる形にして下さい」って。そうしたら、その理由を説明するように求められました。
ねぇそれは、生後1歳を過ぎて歩き始めた幼子に、「どうして四つん這い−這い這いで移動するのを止めて、歩くことにしたの?」って尋ねるようなものよ。滞在的能力が豊かに発揮されることによって−身体的・精神的・知的学習の面においても歩き出すに必要な能力が備わるなら、幼子は歩き始めるわ
50mをクロールで2分というタイムで泳げるようになったなら、今度はそれ以上に速いタイムを目指すはずでしょう。もちろん、過去の泳ぎがあるからこそ、現在の泳ぎがあるわけよね。でも、2分で泳げるようになったなら、もう2分以上のタイムに関心など無いものよ。目指すは1分台のタイムだわ
心の中では、その理由に対する思いをこんな風に理屈っぽくつぶやいた私でしたが・・・
治療の一貫としての『自伝的手記−日記風−書き綴ることによる語り』には、「治療によって【記憶障害】などが、どのように改善されていくのか」という中心的課題も盛り込まれています。そういうことである以上、説明は、その観点から述べるものでなければいけませんよね。
31歳の私はもうすぐ32歳になろうとしていますが、31歳の1年間の睡眠時間を計算してみると、驚くほど多くの時間、寝ていたことが分かります。1日の平均睡眠時間は長いものとなり、数え切れない程の夢も見ました。これは、治療の効果であり結果でもあります。
けれどもやはり、実際には治療と平衡して、「睡眠と夢とを自分の人生及び日常生活の中で重要なものとして位置づける」という意図的な努力も必要となりました。
私は本来、眠ることが苦手です。眠りに落ちるまでの時間には、精神的苦悩や身体的苦痛が伴い、何しろ重苦しい感覚に襲われるので、眠ることはなるべくならば避けたい事のひとつになっています。又、目覚めた瞬間に、心地の良い眠りを得られたと感じられる日よりも、眠る前より疲れているという感覚を味わう日の方が断然多いということも、眠ることが嫌いな理由のひとつです。ですから、基本的な生理学的欲求として、脳(心・精神)と身体を休める為に眠るはずなのに、眠って目覚めた時の方が余計に疲労感を感じるというのなら、眠らず起き続けていた方が楽だわ≠ニ思ってしまうのです。 |