〜お父さん、お母さんへ〜
私が家を出てからの一年半という時間はとても過酷でした。
家を出るまでの15年間は楽しいこともたくさんあったけど、暴言、暴力はひどいものでした。
それなのにどうして離れなかったか?
旦那の問題をみているほうが楽だったから。
一緒にいればどんなに苦しくても、自分の問題、心の傷と向き合わなくていいから、だから必死にしがみついてきた。
自分の心の傷を見ることはとても苦しくて耐えられないとなんとなくわかっていた。それにお父さんも昔遊んでいたけど、落ち着き、だんだんと家庭も平和になってきているように思っていたから、お母さんのように耐えていれば旦那もそのうち落ち着いてくる、そう信じて耐え続けてしまった。
耐え続けた代償はとても大きなものでした。
何年も前からうつ状態、パニック発作の中で仕事をしてきたけど、限界を感じ家を出ました。店を離れ、家を出るということはとても苦しい決断でした。
今まで自分の居場所が見つけられず、自分の力でやっと見つけた居場所だった。
旦那の入院をきっかけにアルコールの家族教室、自助グループに行く中でさまざまなショックを受けた。私や周囲がいいと思ってやってきたことが、すべてよくなかった。それがますます飲ませてしまうことになっていたこと。
私たち家族が出来ることは治療を進めること、それ以外は本人に問題を返しすべて手を放していくこと、そして自分と向き合い自分を大切に生きていくこと。
どれも私には難しく気が遠くなりそうだった。
家族教室でよく言われたのが 「人は変えられない、気がついた人から変わっていく」 理屈としてはわかるけど、アルコール依存症という病気を理解してもらえないさみしさと孤独の中にいた私にとっては果てしなく闇の中にいるようだった。
周囲は私を責めたりする人はいない。みんなやさしい言葉をかけてくれた。でもどれも私がほしいものではなかった。
よく言われたのが
「働きすぎだよ、だから甘えるんだよ。一人で店を任せていけば自然と自立していくよ」
「家でごはんを作って待っていれば男は家に帰ってくるもんだよ」
「もう離婚したほうがいいよ、杏子ならまだまだやり直せるよ」
アルコール依存症者の家族がやっていかなくてはいけないことはそんな生易しいことではない。だからその辛い気持ちを受け止めてくれる人が必要だった。
安全な場所に住み、苦しみを吐き出していくことで楽になる一方で、とても苦しいパニック発作に繰り返しおそわれた。
旦那との生活の中で緊張、恐怖心、怒り、悲しみ、さみしさなど押さえつけていたものが一気に噴出してきて、肺にも穴があいてしまった。
パニック発作は旦那に関することだけではなかった。
小さいときから抱えてきたさみしさ、怒りなども同時にあふれでてきた。
お父さんはギャンブルばかりで、私は振り回され苦痛で仕方なかった。
私が助けを求められるのはお母さんしかいなかった。
お母さんは私のことを大切にしてくれたし、守ってくれたけど、その愛情はとても不安定なものだった。その不安定な愛情にしがみつくために、私はお母さんに嫌われないよう、周りに嫌われないように必死だった。
今でも雀荘の前を通ると胸がざわざわするし、あの麻雀の音もすごく嫌。この傷が癒えるまではもう少し時間がかかりそう。
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